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彼女がそれを拾ったのは、なんと言うこともない午後のことだった。 いつもどうりの学校の帰り道。暑すぎも寒すぎもしない曇り空----日光の嫌いな彼女 が一番好きな空----そよ風に揺れる河原のススキ。砂利道。 そんな風景の中、足下に落ちている指輪に気が付いた。 それだけのことだ。 黒曜石のような光沢を放つ、細い指輪。表面に細工は一切無く、裏を見ると文字…なのであろう記号がびっしりと彫ってある。もっとも、単なる高校生である彼女には、それが表す意味も、果たして文字であるのかさえ判別できなかったが。 (落とし物だろうか……) まあ、わざわざ投げ捨てたのでなければ当然だろう。 一瞬、届けるべきなのかとも思うが、はっきりいって価値のあるものには見えない。 数秒間だけ迷った後、そっとはめてみる。 …ぐらりと揺れた身体。浮遊感。叩きつけられる衝撃。 彼女が気を失う寸前、遙か遠くに感じたのはそんなところだった…。 「……あ、」 ゆっくりと目を開けて、そこが自分の部屋であることを認識し、さつきは今まで夢を見ていたのだと納得する。 夢。目が覚めて現実にかえったとたん、どんな夢だったのかは急速に記憶から消えてしまった。それでも、苦い後悔が残っており、とても悲しいことがあったことだけはなんとなく覚えている。 普段は後ろで縛ってある細目の髪が、汗で首に張りついていた。 大きめの瞳が何度も瞬きを繰り返す。いつもの挑むような視線が嘘のようにうつろな目。 息を大きく吸い込んで、のどが渇いていることに気付き、眠気を振り払って起きあがった。身体が重い。何だってこんなに疲れているのだろう。 彼女が一階へと降りて行きキッチンの冷蔵庫を開けたとき、後ろから声がかかった。 「あら、目が覚めたの?」 ペットボトルを取り出して振り向くと、母親がいた。 ? 何か違和感を感じて時計を見る。 十一時。彼女は仕事に出かけている時間のはず、なのだけれど。 「今日って、何曜日だっけ?」 「水曜日。さつき、もう起きてて大丈夫なの?」 心配そうな顔で答え、顔をのぞき込む母親に、不思議そうに、 「へ? なんで?」 と返す。 「覚えていないの? あなた貧血で倒れたのよ。最近ちゃんと食事摂ってなかったでしょう?それに夜中までパソコンいじっていて、寝てないでしょう?」 ずずいっと近寄ってくる彼女に、思わず一歩下がりながら、さつきは何とか反論の言葉を探そうとするが、相手の方がはるかに早い。 「そうやって遊んでばっかりいるからこういうことになるの。何度言っても聞かなかったでしょう。勉強しろとは言わないけどね、遅くまでお友達まで巻き込んで……」 言いながらだんだん目が座ってきた彼女のお説教は、口を挟む余地もなく、それこそ気が遠くなりそうなほどえんえんと続きそうだった。 「あっはは、そりゃー災難だったなー」 心底楽しそうに笑う内田を睨み付け、さつきはきっぱり言い返した。 「ぜんっぜん笑いごとじゃないっ、本気で泣きそうになったんだからね!」 放課後の数物室。さつきの通う県立高校の理科棟四階の一室である。 正式には数学物理教室。ただし、この部屋で数学や物理をやる様な物好きはいないが。 広めの床になぜか一面青いカーペットが敷いてあり、白いデスクが何列かある上には、一台づつパソコンが置いてある。 素直にパソコン室にでもすればよいだろうに、とかく学校というのはわけのわからないことをしたがるらしい。 ともかくIT授業用にと設置されたこの部屋は、今では数物化部に占拠されている。 数学物理科学部。名前だけは立派なこの部活は、数年前部員があまりにも少ない科学部が、たまたま隣にあった数学物理という名のパソ部に吸収されただけという、何とも情けない経歴があったりする。 とはいえ、精密機器のために空調のあるこの部屋を使えるようになって科学部の人間もずいぶんと喜んでいるのだが。 「それってただ単に、さつきの日頃の行いが悪いだけじゃないの?」 とどめを刺してきたのは、かなえである。 「……もういい」 「まあ、そういうこともあるって。あ、沼ちゃん化学室?」 机に座って足を投げ出していた内田が、言って立ち上がった。 「たぶん。さっき、実験の続きやるって出てったから」 かなえが答える。さつきは二人の言葉にすっかりすねて、机にべちゃりとつぶれながら、 隣のパソコンに向かってなにやらぶつぶつと言っていた。 「じゃあ俺も、もうひとがんばりしてくるわ」 ちらりと彼女に視線を投げて、片手を挙げて内田は部屋を出ていく。 それを見送って、かなえはさつきを引き起こした。 「ほら、さつき、いつまでもすねてないの」 「うむぅー」 腕を思い切り引っ張られて、さつきが呻いた。 「久しぶりにゆっくり寝られたんだから、ラッキーだったと思いなさいって」 「いや、思えないって……」 「学校までサボったんでしょ?」 「そりゃあ、そうだけど、サボったんじゃなくて休…」 「じゃあ、良い休暇だったんじゃない」 「ぐぬううぅー」 何か理不尽な物を感じるが、言い返せない。 「拾い物もしたんでしょう?」 「……うん」 それは確かだ。 「見せてみなよ?」 といいながら、既にかなえはさつきの腕をねじり挙げている。 「うん、かわいいじゃない。確かにさつき好みだわ、」 「いたたた、痛いって、かなえぇ」 さつきが情けない声をあげると、あっさりと手を離し、にっこりと笑う。 「それ、くれない?」 「あげない」 予想していた問いに、間髪入れずにさつきは答えた。 さつきだって、気に入っているのだ。 「ちえーっ、まあいいや、」 そういって彼女も作業へ戻るため画面へと向かい、さつきも自分のデスクトップに向き直った。 放課後の学校は、いつものように何事もない。 |